Seize the day.

日々、気になったことを書いていきます。

音楽と、涙の訳。

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私は生まれてから「嬉し涙」を一度しか流したことがない。とても恥ずかしい話だけど高校の合格発表の時である。私は中学3年の時に志望の高校に受からなかったので志望していない方の高校に進学したのだけど、どうしても納得がいかなくて、高校1年生をしながら再受験した。その時の合格発表で泣いた。
この嬉し涙の回数は、一般的に見て多いのか少ないのかはよくわからない。嬉し涙データについては無知なのでなんとも言えないが、一度でも流せたことは結構幸せな方かもしれない。


そこで、他の理由で泣く際の理由を考えてみた。映画や小説で感動。これはとても想像力が研ぎ澄まされているような感じでよい。あとは失恋。泣いて泣いて泣き疲れたら新しい恋が始まっていましたとさ。あ~これもいいね。と一発で解決してしまえばいいのだけど、そこに行きつくまでの過程が甚だ困難。そこで涙が流れる感情と音楽との関連性について、いつも思うことを書いてみようと思う。


私はミスチルの「口笛」が好きなのだけど昔はとにかくこの曲のイントロが流れた瞬間、涙か出るほどだった。歌詞をざっくり話せば、思い合っている男女が手をつなぎ、自然体でいながらこれらからも2人で何気ない幸せを感じながら過ごそうぜ、みたいな感じ。


当時、曲が流れたら私は泣いていた。ある男を思いながらオイオイと泣いていた。実際、その男とずっと一緒に過ごしていたら間違えなくイタイ人間になっていたので、人生って案外うまくできてるな、と思ったりもするのだけど、とにかくその時はその男と「口笛」に出てくるような2人のみたいな関係性になりたい、いや、なるのだ。なるに違いない。と思っていた。そんなことを勝手に想像しているうちに、知らない間にその男は知らない女と結婚していた。


しかし、音楽に罪なし。「口笛」はふいに流れてきたりする。その時はまたセンチメンタルな自分に酔いながら、オイオイ泣いていたのだ。あー面倒くさい。
しかし、今もなお「口笛」は好きな曲だ。
なんてことない道を、手をつないで歩く距離間。何も気負わず過ごせる時間はいい。とても貴重だ。


不思議なことに私は今、その曲を聴いても涙が出ない。いいな、と思うだけだ。
実は他の曲にも言えることなのだが、その時に自分を投影して、実は「かなわないとき」の方が本能で感じ取って涙がでるんじゃないか、そんな風に思えてならない。


「どんな場面も2人なら笑えますように」©️桜井和寿


が自然と受け入れられる気持ちになっているのではないかと思う。
涙の訳って基本的には心理学的に立証されるものだろうし、歌というのは音楽と歌詞が相互作用しているわけだから、本当に私がその時泣いていた理由はここに書いたことではないのかも知れないけど、ふとそんなことを思いました。

とても主観的ですが、感じたことでした。おわり。